うわばみのうわごと

酔っぱらいの言うことですから。

KENZOの死に思う

唯一無二のデザイナーが、また一人この世からいなくなった。

 

彼の自伝『夢の回想録』を読んだのは、確か昨年のこと。本の表紙の近影が、後期高齢者とは思えないほど若々しく、それだけにあっけなく逝ってしまったことが信じられない。

 

20年前、彼が自身のブランドから去るという記事を見て、慌てて地元のショップに駆け込んだことを思い出す。

 

不景気で就職できず、バイトで繋ぐ身としては、彼の服は大好きだけれど手の届かない物だった。その年は1年契約のフルタイム、ボーナス付きだったため、6年間の冷や飯食いの中では、比較的マシな年であった。

 

店に着いてみると、主だった商品はほぼ捌けていた。残っていたものの中から選んだのは、グレーと茶の柄のカットソーと、黒地に秋の七草を配した、着物風のスカートだった。

 

問題はサイズが13号だったこと。一続きの柄なので、裾を切ることができない。店員さんが一生懸命考えてくれて、裾ではなくウエストを切って丈を詰め、さらに柄をうまく合わせつつ脇も詰めて、9号サイズに作り直すことができた。

 

カットソーはよれよれになってしまったが、スカートは今も現役で活躍している。他にもポーチやらハンカチやら、小物はずいぶん買ったのだが、全部使い倒して今はない。

 

見ただけで誰のデザインか分かる服が、最近は本当に少なくなった。

アノニマスな服も、それはそれで必要なのだけど、それだけでは、あまりにもつまらない。

 

第2次世界大戦後、オートクチュールの顧客は減少し、ファッションの主流はプレタポルテに取って代わった。ファッションが巨大なビジネスになるにつれ、ショーも大掛かりになっていった。ショーそのものが見ものとして話題になれば、より幅広く顧客を獲得できるからだ。

 

老舗メゾンのように代々の経営者一族がいるわけではないので、デザイナー自身がデザインはもちろん、経営も広報も仕切った(その結果、クリエイティブ・ディレクターという呼称も生まれた)。しかし優れたデザイナーが、必ずしも優れた経営者であるとは限らず、経営難に陥ったブランドはコングロマリットに次々と買収されていった。いち従業員となったデザイナーは、経営陣の望むとおりの「みんなに売れる」服を作るか、逆らって首を切られるかの二者択一を迫られる。結果が出せなければわずか1~2シーズンで解雇された。デザイナーを取っ替え引っ替え、そのたびブランドイメージはぐらついた。創業デザイナーが去ったブランドで、その人を超えるデザイナーが現れる可能性は、ゼロとは言わないがかなり低い。

 

このあたりが、どのブランドも似たような服を作るようになった要因の一つだと思う。

 

ファッションを万人向けのビジネスとして考えれば、好き嫌いの分かれる個性の強いデザインは確かにNGだ。でも、それはファッションと呼べるのだろうか?

 

彼の死をもって「ファッションは死んだ」というコメントもあったが、もうずっと前から、ファッションは瀕死の状態にある。彼が自分のブランドを引退してから20年が経つ。その間にファストファッションが台頭し、それなりにデザインも品質も向上して、脅威となっている。そして新型コロナが最後のとどめを刺そうとしている。

 

2021春夏のコレクションは、例年のランウェイショーではなく、無観客でのショーや、映像で発表したブランドが多かった。派手な演出もなく、必然的に服そのものをじっくり鑑賞することになった。

 

そのような状況下でも、しっかり持ち味を発揮しているデザイナーもいて、そういう服には欲しいと思わせる力がある(買えるかどうかは別として)。余計なものを全て取り払って、最後に行き着くところは、やはりそのデザイナーにしか生み出せないデザインなのだ。

 

KENZOのアイコンは、花とジャポニズムであり、それは絶対にブレることはなかった。

 

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